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石村さんのホームページに

 投稿者:たっぴー  投稿日:2016年 4月 9日(土)12時41分54秒
  http://www.a-root.jp/sekison/

有難う

 投稿者:ジャカランダ  投稿日:2016年 4月 4日(月)21時55分37秒
  川井さん、いつも情報と経験を分けてくださり感謝してます。北島先生のお話しをしてくださりありがとう。初めて私達が東京オリンピックのリサイタルに参加できた詳細を知りました。(ところで自分はグランドを歩いたほうなのか客席にいたのか覚えていません・全員歩いたと思ってました。)すごい歴史があったのですね。北島先生のお父様がそんなに有名な方だったとは。そのうえビックリこのロスで長年読んでいる地元紙・羅府新報にいつも載っていた和田勇氏があのオリンピックの立役者そのものだったとは。全く無知でした。戦中戦後苦労した日系人の英雄の一人です。私の高校時代の素晴らしい経験とこちらに永住し日系人となり何らかの恩恵を彼からいただいたという偶然の新しい発見です。ロスの日本人町にあるJapanese American National Museum の損害保険は設立当時私が担当させて頂きました。彼もその設立に貢献したひとりにちがいありません。私の務めている会社の創立者も日本人町でMarketをしていた草分け的日系人でした。運命の偶然と思えます。人生いいことばかりではありませんでしたが、自分は不思議なほど沢山の素晴らしい偶然に恵まれていると思います。忍で学んだこと。かけがえない幼馴染の友人達が出きたこと。これからも一期一会を大事にしたいと思います。最近の偶然・先日昔学校全員で見に行ったMiracle Worker・ヘレン・ケラーの映画をNetflixでオーダーしてそれが届いた日の前日に Patty Dukeさんが亡くなっていました。私達と同じ歳です。これって又不思議な偶然?素晴らしい演技で又感動し泣かされました。










です。
 

東京にオリンピックを呼んだ男

 投稿者:川井浩  投稿日:2016年 4月 3日(日)18時33分26秒
  2014年10月11日にフジテレビで放送された「東京にオリンピックを呼んだ男」という放送があったらしい。 僕は観ていませんが、再放送があればぜひ見てみたいと思います。 この物語に北島先生のお父さん、北島義彦も登場する。

http://www.fujitv.co.jp/tokyo1964/characters.html

http://kandoraobasan.com/blog-entry-6449.html

https://www.youtube.com/watch?v=yrcbHBWL5rw

https://www.youtube.com/watch?v=LSZ6P66xp8U&ebc=ANyPxKqiSnYVhMon_oUH1rHPcjgnDsX0imv6Txc_zthIP5IIO6XrcT5bfptPO9w0NQ-IJMiFfTG9Sk_5I1p1zQpW2duzqTs9nw

https://www.youtube.com/watch?v=BMcNQUTH3Gs&ebc=ANyPxKqiSnYVhMon_oUH1rHPcjgnDsX0imv6Txc_zthIP5IIO6XrcT5bfptPO9w0NQ-IJMiFfTG9Sk_5I1p1zQpW2duzqTs9nw

http://www.fujitv.co.jp/tokyo1964/

東京オリンピックといっても、ふってわいたような感じしか持っていなかったけど、舞台裏ではこんなことが起きていたのだということを知ると、改めて、感慨無量です。 北島先生役の子役もでてくる、かどうか、は知りません。


 

北島先生のこと

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 4月 2日(土)23時22分0秒
  忍岡のマドンナ、若くてすてきな体操の先生、という印象だけをもっていて、残念ながら先生の授業を受けたことはありませんでした。

その後、何度か、同窓会でお目にかかり、いつまでもお若いのと、内海先生同様絵画で精進なさっているということは知っていましたが、今回の上のグリーンパークでの同窓会でのお話がとても印象的でした。

それまでは、どこぞのお嬢様が先生になったのかも、程度の推測だったものが、実はもっとドラマチックな人生を歩まれたのだということがわかりました。

お父様に関するWikipediaの情報は以下の通り:
曰く:
北島義彦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2011/08/20 03:09 UTC 版)

人物

東京都北区出身。北区立赤羽小学校PTA会長などを経て、都議。柔道5段。

「日本プロレスの父」といわれた八田一朗とともに、1964年東京オリンピック招致に奔走し中南米票の獲得に尽力したが、その途上、胃癌を発病しサンパウロから急遽帰国。その1時間後駒込病院で死去した。

三段跳びの大島鎌吉、競泳の古橋広之進らと交友があった。
以上

で、今回の北島先生のお話のなかにこのお父様のことがでてきました。 東京オリンピック実現のために奔走し、結果をだし、急にお亡くなりになり、3人姉妹の長女だった北島先生は悲しみもそこそこに、生活のための仕事を得るために、教員資格をとり、初めて就職したのが忍岡高校だった。 体育の先生になられたものスポーツマンでもあり、オリンピックとの関係の深かったお父様の影響だったのでしょう。 恐らく、その人脈も引き継がれ、東京オリンピックの時には、代々木の東京オリンピック村の村長も兼任なさっていたとのこと。 我々がオリンピック開会式の予行演習で競技場のアンツーカーを行進できたのも北島先生の人脈とご尽力によるものと思われます。

その後、趣味としての絵画が、生涯の仕事になり、あらたな才能を開花なさっているというわけです。 今回、先生のお話のなかに、やはり長い人生、山も谷もある人生、よくぞ、生きてきたわね!というご発言があり、個別に先生にお話を聞いた時も、今が底でもきっとまたいいときがくる、とやさしく元気づけをしていただきました。 実際のことろ、今は、仕事で、底にあるので、私もぐっと元気をいただきました。

で、その先生の展覧会には伺えなかったのですが、山田3B課長の写真を見ると、そこには、海辺の風景画の前に椅子に座ってポーズを取る中年と思しき女性の姿がある。 その姿勢はゆったりとくつろいでいるというよりは、どこか遠くを見つめて、何か思いにふけっているようにも見える。

もしかすると、これは北島先生ご自身の心の風景で、長い苦労もあった人生をふと振り返って、一息ついているような、そんな風情に見えます。 着物姿ではあるが、背中に持たれる風でもなく、前後にずれた足の位置からは、次のステップのためにすぐに立ちあがれるような躍動感も感じられる。

ただ、その風情からは、喜びや、特に憂いというものが動的に、前面に表現されているかといえば、そうでは無くて、テープルの花や水差しと思われる物体と同様の静物画に近い、人物のデッサンをしたともとれるような静けさにあふれている。

それは、ある意味で、これまで生きて来られた人生を振り返り、よかったことも、運の悪かったことも、いろいろとあるけれど、それらをすべて受け入れて、その人生を肯定したうえで、一息ついて、さぁ、またもう一歩前に進むぞ、という北島先生の生きるという意思というか、覚悟のようなものを感じる、といえば言い過ぎだろうか?
 

リュックサックの情報訂正

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 4月 2日(土)19時48分1秒
  一部情報の訂正があります。 ディズニーランドはリュックサックは一律禁止ということではないようです。 あまり大きなものとか、不自然なものは、怪しまれて、断られる恐れがある、ということのようです。
しかし、確かに、中近東風の風采で、リュックサックを担いでいたら、念のため、撃たれる可能性があるとなると、私は気を付けることにしたほうがよさそうです。

しかし、ここまで自爆テロが頻繁に起きるようでは、怖いですね。リュックサック愛用者のぼくとしてはとてもこまります。 ローラー付のビジネス・フライトバッグにしても、中身が爆弾と思われたらそれまでだし。。。

 

2016北島先生の絵

 投稿者:3B課長  投稿日:2016年 3月31日(木)12時12分6秒
  2016北島先生の絵が、新国立美術館、示現会展で展示されています。4月11日(5日は休館)までやっいます。絵の題は晩歌。絵と先生、女生徒の写真を投稿いたします。  

Softcream

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 3月29日(火)12時55分19秒
  朝5時起きで昼過ぎの大阪でのアポに間に合うように自宅をでた。 朝ごはんはコンビニのサンドイッチと豆乳だけ。 大阪には早めについたので、11時だけど、早めに食べようと思って入った中国人ばかりがやってる中華店のランチ。 四川酸辣湯麺。 辛酸っぱいこの麺を食せば眠気もとれるし、時間をつぶせると思ったけど、いやー、辛い、酸っぱい。 当たり前ですけど。注文して5分もせずに出てきた。 早い。
で、結構人が込んできたので、時間をつぶすわけにもいかず、辛いし酸っぱかったけど、いまいちコクがたりなかったなぁ、などと思いながら、歩き出せば、そこには、生パスタこだわりのスパゲッティ屋があり、ドリンクもあるので、ここで粘ろうと入ってみた。 注文したら2分でパスが登場。 早い! で、生パスタはみるみるうちにソースを吸ってしまい固まってしまうので、急いで食べないといけない。 せかされるように食べちゃって、おなかがいっぱいになる前に食べ終わってしまう。 味は、これまたいまいちなのだけど、それを悔やむ時間ももったいないので、ドリンクを取りに行って、さて、のんびり時間をつぶそうと思いきや、以外に人気のこの店の入り口の近くの席にいた僕のことを行列で待っている人がじろじろと見る。 ずっと、恨めしそうに見る。 いたたまれず、店をでる。 時間がつぶせない。 表にでれば、遠くにマックのマーク。 そこで、お茶でも頼んで時間をつぶそうとしたが、もうあまりお金も使いたくない。 ソフトクリーム100円とあったので、これを買って、席につこうとしたが、ソフトクリームのコーンがとんがっていて、どこにも置けないので、片手しか使えない。
片手で、メガネをだして、片手でパソコンだして、片手でネットに接続し、片手でもどかしく、こんなことを報告しているうちに、時間がつぶせたのでした。
 

ジャカランダさんからの緊急情報

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 3月29日(火)12時41分18秒
  によると、ディズニーランドなどはリュックサック・バックパックを背負っての入場を禁止したとのこと。 大変だ!
というのも、私、リュックサックにパソコンやらなんやら詰め込んで毎日会社に行くし、今日も出張に来ているし、世界中このスタイルなんですが、今後は、自爆テロと間違えられてスナイパーで撃たれる可能性がでてきたということですね!

不自由な世間になったもんです。 そのうち、ディズニーランドは、すべての持ち物を禁止するヌーディスト・ディズニーランドになるかも。。。 あ、いよいよ成人用のディズニーランドが出現か、と勝手に想像するだけですが。。。

それにしてもリュックサック禁止とは、リュックサック業界にとっても痛手だが、それは自分とは関係が無い。 リュックを背負えない世界というものが悲しい。

胴回りが太いだけでも自爆テロと思われそうで、それも心配だ。。。
 

今日の富士山

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 3月29日(火)12時19分8秒
  新幹線の窓から富士山を眺められるのは一年間にどれほどあるか、という問題とはべつに、いい感じで眺められるタイミングというのは意外と短い。

今日は、大阪に向かう途中で、春霞の富士を見た。 このすぐ後にトンネルだらけ、山だらけになってしまい、パソコンに向かっている間に、ちょっと見えた富士山の写真を撮るタイミングを逃した。

ただ、富士山をみると、なんだか気持ちが良くなるのはどういうわけでしょうね?
 

花、花、花、はなみず

 投稿者:川井 浩  投稿日:2016年 3月28日(月)07時08分27秒
  花盛り=花粉盛り=はなみず。。。 五月よ、早く来てちょんまげ!